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会長の時間(45)

 今回は熊倉先生の講演の最後、「月」についてご紹介いたします。日本人は美意識を象徴する言葉として「花鳥風月」があり、大宇宙の象徴として太陽ではなく月を撰びました。太陽ではなく、月であるのが面白い、と先生は話されます。和歌の世界で、太陽を詠った歌は殆どありません。日本人は月を詠ってきましたが、万葉集の中に月を詠った歌は僅かしかありません。古今集、新古今集、と時代が下がるに従い、月の和歌が増えてきます。「日本は昔から日本だ」と思っていると、違います。日本らしさは、段々に作られてきたものです。日本独自の文字である「ひらがな」は10世紀ぐらいにできました。日本は中国の漢字文化の中から、日本独特の文字文化を持つ事で、中国から自立してきます。日本が日本らしさを、非常にはっきり持つようになってくるのは、中世(12世紀末、鎌倉幕府成立以後)ではないかと話されます。
 韓国が、ハングルの登場によって自らの文字文化を確立するのが15世紀で、ここから日本と韓国が別の道を歩み始めます。アジアという一つの幹が、中国と日本に分かれ、更に韓国が分かれていきます。そうした中で、日本は日本らしさを獲得してきますが、その過程の中に月があります。古代にあっては月が中心で、中世文化では、月をどう観賞するかということが、一つの大きなテーマでありました。
 ついこの間まで、我々は旧暦を使っていました。旧暦というのは陰暦で、月の運行でカレンダーを考えていました。太陽でカレンダーを考えるのは西洋の考え方です。月は太陽に照らされて輝いているから消極的な存在だ、と考えるのは妥当ではありません。月こそ本体です。
 中国では、世界を陰と陽に分けて考えました。中国文化の二元論です。男と女、天と地、太陽と月。月が属している陰の文化には、大地・母が属し、母なる大地であり、父なる大地ではありません。母こそ陰の世界であり、月の世界であり、それが人間の一番大事な根本である、というのが古代の考え方です。
 ユングは人の無意識の奥底には母なる元型(アーキタイプ)があると考えました。日本人社会は特に母性で(母系ではない)、母は人を育て大きく包み込みますが、一方そこから離れようとすするものを強く引き戻そうとします。遊牧民は男系で、強力な指導者が組織を支配します。キリスト教世界も同様です。
 月は太陽以上の大事な存在となります。古事記には月読神(つくよみのかみ)が出てきます。太陽の神である天照大神には乱暴者の須佐之男命(すさのおのみこと)という弟がいます。二人は絶えず諍いますが、真ん中に月読神がいて、緩衝地帯となり、本当の喧嘩になりません。月読神は天照大神より大事ですが、実態がよくわからない。「空」の存在で、空だからこそ緩衝地帯になった。これは河合隼雄先生の「中空」理論です。対立する勢力が真正面から衝突すると、革命が起こります。日本にも革命に近いものがありますが、先進国で唯一、武力で王朝を奪い取ったという歴史が無い、世界で稀有な国です。なぜ日本では、天皇家が存続し続け、王権を奪う勢力が出てこなかったのか。天皇が真中にいて、武力衝突があっても、なぜ天皇制が崩れなかったのか。天皇が「空」だからです。天皇が、存在しているが、実体がない。真中が「空」である。これが日本文化の大事なところである、と話されます。
 会社経営では、今はリーダーシップが重視されています。社長が全権を持って、会社全体を引っ張っていくという、西洋的な考え方です。昔の日本の会社経営は、会長型で、会長はわけのわからない存在で、具体的な指令を出さない。下の人達が会長の考え方を議論しあって実践し、結果として会社が上手くいく。これを河合先生は「中空構造」と言われました。
 中空構造で言えば、真中にいるのはお月様がよい。自ら光り輝くのではなく、みんなの光を受けながら、照り輝くのがよい。これが月の文化です。その月も煌々と照り輝くよりも、見え隠れする月の方がよい。見え隠れする月を良しとする、これが中世の日本の美意識です。茶の湯の祖といわれる室町時代の村田珠光は、「月も雲間のなきは嫌にて候」、と言いました。
 完全無欠でなく、いろいろ障害がある存在こそ良いものだ。人間の存在も完全無欠ではなく、障害の中に存在することこそ本来の人間の姿である。これが中世になって生まれた日本らしさではないか。これは日本人の好きな「徒然草」の中の考え方で、日本人の大切な美意識ではないか、と話されています。
 最後に、忘れられていた古事記を、わかりやすく甦らせてくれた、本居宣長の歌をご紹介します。「大和心と人とはば 朝日ににほふ山桜かな」(にほふ=そまる)。
(中澤 敏会長)
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