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会長の時間(44)

 この前の日曜日、6月1日、ポップアップホールで第4回・丹波在住外国人交流会が開かれ、出席してさせていただきました。外国人50人余が出席され盛会でした。今年度から柏原ロータリークラブ・丹波市国際交流協会・インターアクトクラブの三者で事業を進めていくことになりました。国際奉仕委員会、青少年奉仕委員会の委員長・副委員長さん、朝早くからお世話になり有難うございました。
 先週に続いて、熊倉先生のお話を進めます。花鳥風月の「鳥」は、一般動物の代表です。ニワトリは日本人の一番親しい鳥です。昔はニワトリを食べませんでした。天武天皇の詔勅で、食べてはいけない物の中にニワトリがあります。江戸時代まで食べなかったようです。卵も食べませんでした。なぜ食べなかったのか。ニワトリが「庭の鳥」、即ち身内だからです。身内に対して非常に甘い、優しい、守る。外に対しては、非常に敵愾心を持つ。これは日本人の独特の感覚です。野にあれば、イノシシでもシカでも食べ、身内にあるものは、牛でも馬でも、犬でも猫でも食べない。これが日本人の基本的な考え方です。動物も場合によっては植物同様、神と人間の仲立ちではなかったか、と思われます。ニワトリは何のために飼っていたのか。時を知らせてもらうためにニワトリがいました。ニワトリの声というのは非常に大事でした。

 ニワトリの声に関して、もう一つ面白いのは虫の声です。日本人ほど虫の音を楽しむ民族は、世界的に何処にもいません。西洋人には、虫の音は雑音です。スズムシとかマツムシとか、虫に名前をつけてその声を聞くことは、日本だけの文化です。自然の中の音、色んな虫の音を聞き分ける、日本人には、自然の中の美しさを感じる大変大きな力があるのだろうと思います。
 次は「風」です。日本人には自然現象を観賞する態度があります。関東育ちの熊倉先生は、京都へ行かれて初めて、「ああなるほど、こういうものか」、と思われたのが、「霞」という感覚でした。東山を見ていると、山の尾根は見えるが、尾根の下辺りが霞んでいる。その下の人家は見える。なるほどこれが霞か、と思われました。屏風絵などに霞が段々に描かれています。「すやり霞」という大和絵の描き方で、そのように霞がたなびいているそうです。
 もう一つ京都でなるほどと感じられたのが、時雨です。ただ冷たい雨が降るのではなく、12月初め、枝にまだちょっと残っている紅葉に、冷たい雨がザーッと降り、さっと止み、薄日が差してくる。薄日が差すと、濡れた紅葉がテラテラと赤く輝く。そしてまた雨が降り出す。この薄日が差したり雨が降ったり、それが紅葉(もみじ)する木々の間を通っていくという感覚、これが「時雨れる」という感覚です。平安朝以来、日本人はこういう光景を見て、美しいと感じてきました。
 風が吹くというだけで、その風の音とか風の流れを感じるところに、日本人の独特の感覚があります。茶の湯では、「茶の湯とは墨絵に描きし松風の音」と呼んだ家元がいます。松風の音なぞ墨絵に書ける筈が無い。しかし、墨絵を見ていると、そこには風が吹いて、松風の音が聞こえてくるような気がする。その松風の音は、釜の煮え音です。炉の中で釜がシュンシュンと沸いている、その音が松風の音。茶の湯のことを松風と言ったりもします。そのような風の音、見えないかたち、見えないものの中に非常に大事なものを感じとるという、このあたりが日本人の美意識の一つの特徴ではないか、と話されています。
 美意識についても西洋人と日本人では相違があります。「美しいものは何か」、と純粋に美を追求するのが西洋的な美意識です。日本人の美意識は、単に美しいという事では終わりません。美の中に「侘び」とか「寂び」を感じた時、その美を良し、とします。侘びという、つつましい、今風にいえばエコな、環境に配慮した人間の生き方を大事にしてきました。
(中澤 敏会長)
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